キリスト教福音宣教会で牧師をしています。聖書を通して学んだリーダーとして備えるべき姿勢や能力、日常生活のエッセンスをお伝えしていきます。

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キリスト教福音宣教会 牧師ブログ 真のリーダーシップ

人生の岐路 partⅠ

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もう1年の半分が終わってしまいますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今日は、私が牧師の道を志すきっかけになった経緯を書きます。

私は摂理の教会に通いながら、霊的な指導者になるとは、夢にも思っていませんでした。

私は摂理に来て、人生の意味を教えてもらい、人生が180度完全によく変化したので、鄭明析(チョンミョンソク)牧師から受けた教えを携えて、社会で働きながら、主の精神を伝えることが夢でした。

 

しかし、これはあくまで私の考えであって、神様はどう思っていらっしゃるかは別の話です。

 

摂理に来る前は、自分に自信がなく、コンプレックスの塊だったので、人前で話すなんて絶対に無理!人を導くなんて出来ない!と思っていたし、本当に何も誇るものがなかったので、指導者になりたいとは、考えたこともありませんでした。

 

神様の御言葉を聞くことがが大好きで、感謝なことに、学生時代は教会で、30個論(バイブルスタディー)を伝える機会を多くいただいていました。

1日に5回講義したこともありました。それが1日の中で最多だったかと思います。

 

講師になる前は、私自身のことに関して話すネタなんていうものは、まったくありませんので、いざ講義を伝えることになったとき、相手と私が向かい合って、沈黙の状態になるのではないかと恐れる気持ちもありました。

しかし、講義は私個人の話をするわけでもなく、私の考えを語る場でもありません。

神様の御言葉というものは、神様が伝えたい言葉なわけで、自分の話は一切する必要はなく、結果的に、毎回大胆に伝えることが出来ました。

自分で講義しながら、自分も講義を聞いているという不思議な感覚を持ちながら、ずっと講義をしていました。

話すのが本当に苦手だったのですが、かなりの回数の講義をする機会に恵まれたおかげで、話すことに慣れてきました。

 

多くの講義経験を積みましたが、牧師や摂理の指導者になることは、また別の話なので、御言葉を携えて社会で主を伝えるという希望を持ちながら、ついに社会人になりました!

 

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公私ともに、充実した毎日でしたが、大学を卒業し、24、25歳ぐらいになってくると、人生の進路について悩む時期に一般的になるのでしょうか。

すでに神様に人生を捧げると決めていたので、結婚に関しては悩みませんでしたが、これから私は社会でも、摂理でもどのように走るのが、神様の願いなのだろうか、、と真剣に考えるようになっていました。

自分の進路に関して、切実に祈るものの、答えが出ない毎日、、

この時期はかなり信仰的に調子が悪かったです。

 

「私に対する神様の御心はどこにあるのでしょうか???」

 

と祈っていましたが、心の奥底には、すべてを神様に委ねるという考えではなく、自分の考えを完全にフラットにすることが出来ず、祈っていました。

つまり、社会で地位名声を得たい!世の中に名を残して成功したい!という思いが先行していました。

心の器に、自分の考えが満杯に詰まっているわけですから、神様が答えを注げるはずがありません。

でもそれに気づかず、自己中心的な祈りをし続ける私。

 

そんなカタクナな私に対しても、神様はあきらめないんです。私がはっきりと悟るまで働きかけてくださいました。

 

まずは、聖書の聖句から悟らせようと、4連発の働きかけをしてくださいました。

クリスマスやさまざまなイベントで、聖書の聖句カードをもらう機会があり、1年に4回同じ聖句カードに当たりました。

100枚あったら、全部のカードが違う聖句にもかかわらず、同じ聖句が毎回当たるというミラクル。

 

ある時は、鄭明析牧師の故郷、月明洞の美しい風景の写真のポストカードを先輩がお土産でくれて、好きなカード1枚選んでと言われ、ひいたら、裏にその聖句が・・・

どうにかして私を悟らせたい神様。しかし悟れない私、、

その聖句は何だったかというと、、

箴言3章6節

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

 

あー、アーメン。おっしゃるとおりです。。

 

つまり、

「神様はすべて一番いいように導いてくださるのだから、心をあけなさい。認めなさい。委ねなさい。そうしたらあなたの人生の道は天に向かってまっすぐに進むよ」という意味です。

 

これが本当にできていませんでした。

 

心をあけて、主に自分の人生を委ねるということが。

 

これでもか!これでもか!!これでもか!!!というぐらい働きかけてくださっているのですが、まだ、いまいち自分の考えが空けきれない。。

 

そんな状態で時間が過ぎていた時、私の人生の中で大転換の時を迎えるようになるのでした。

 

長くなったので、次回に続く。。

投稿者プロフィール

Miry
Miry
摂理で牧師やってます。大学1年生の時に摂理に出会いました。まさか!自分が摂理の中で聖職者になるとは全く思ってもみませんでしたが、ある時、道が開かれ、牧師の道へ。
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