キリスト教福音宣教会で牧師をしています。聖書を通して学んだリーダーとして備えるべき姿勢や能力、日常生活のエッセンスをお伝えしていきます。

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人生の岐路 partⅡ

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こんにちは。

早速、前回の続き、partⅡを、これから書いていきます。

 

前回は、神様が私の人生の進むべき道を、これでもか!これでもか!!これでもか!!!というぐらい働きかけて示してくださっていても、なかなか自分の考えを捨てきれないところまで書きました。

 

自分の考えは捨てきれないし、信仰的にすっきりしないし、底辺を這うしかない状況の中、あることが起こりました。

 

それはなんだったかというと、

 

母親が突然倒れたのです。

 

しかも、主日礼拝の日に。

 

私は礼拝をその日捧げ、その後教会でスポーツをしていたので、電車で会場に向かっていた時でした。突然、家から電話がかかってきました。

 

「お母さんが倒れたから病院に行って見なさい」by叔母。

 

「???どういうこと??」

と思いながら、病院に向かいました。

 

病院に着き、母に会いましたが、意識はある様子。チューブが下半身についていて、足が動かないとのこと。

医者の説明を受けるようになるのですが、

「あなたのお母さんは、もう歩けません。寝返りも打てません。原因不明の難病にかかりました。お母さんはショックでしょうから、まだ言わないほうがいいです。」

 

「!!!!!!!!」

と思いましたが、何か意味があると思いました。

 

なぜかというと、その日の主日礼拝のメッセージの主題が

 

「肉体の病と心霊の病を治しなさい」

 

内容は、

病気になった人たちの話がたくさん出てきて、健康を省みないといけないということと、この週の御言葉を通して自分を霊肉共に診察し、いそしんで治療して治していかなければならない。健康のために運動もし、信仰の健康のためにいそしんで、神様が自分に任せた摂理の御旨のために走らなければならない。

という御言葉でした。

 

 

これは、私が悟らないといけないメッセージがあると思ったのです。

 

何でこんなことに!?とは、不思議にも、まったく思いませんでした。

 

鄭明析(チョンミョンソク)牧師を通して毎週宣布される礼拝のメッセージは、「神様、私のこと全部ごらんになっていましたか?」と言わんばかりの内容が毎回出てきます。

週の初めに、天の指針が宣布されることなので、礼拝の御言葉を聞かないことには1週間が始められません。

何か神様が伝えたいメッセージがあると強烈に感じとりました。

 

母が入院することになったので、毎日会社帰りにお見舞いに行って、何かできることと言ったら、足をマッサージすることぐらいなので、毎回泣きながら(母には見られないように)マッサージしました。

原因不明の難病で、治療法がないため、医学的には研究対象でもあるので、大学病院に入院していたこともあり、医学生たちが毎日のように団体で訪れ、検査して帰るということもありました。

お見舞いに行くと、救急車で運ばれてくる人たちをたくさん見ました。

母のためにできることもなければ、救急車で運ばれてくる人たちのために、私ができることは何なのだろうか、、と考える日々でした。

昨日まで一生懸命働いていた母親が、今日はまったく動けなくなる現実。

聖書では、

ヨハネによる福音書6章63節

「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」

 

と書いてあります。

これは、あまりにもユダヤ人たちがイエス様が霊的に話しているものを、目に見える世界のことで捉えるから、強く話した箇所だと学びました。

しかし、「肉は何の役にも立たない」というのは、まぎれもない事実だと悟るしかありませんでした。

人は、1秒後もどうなるかわからないし、今は生きて、息を吸い、呼吸していますが、それが普通のことではないのです。

あまりにも肉体は弱い存在ということを、母親の姿を見ながら感じるしかありませんでした。

目に見えるものは、なんて儚(はかな)いのだろうか、、私が今まで執着していた目に見える地位名声、お金、物質、そういうものは何でもないものなのだということを、衝撃的に悟ったのです。

私は何でもないものに執着していたんだなと。

 

そう思った瞬間、自分が執着していた数々のものが、まったく価値のないものに見え、こだわりが完全になくなりました。

 

そして、母を治すために、現実的ではないですが、今から私が勉強して、もし医者になったとしても、原因不明の難病なので、治せる保障もありません。

唯一私ができることは、大学のときから摂理に導かれ、人間には肉体だけではなく、霊魂の存在があるということを知り、霊魂のために生きることを学び、先の見えない真っ暗闇から、光の世界へ救い出された者として、霊魂の救いの働きをすることでした。

 

肉体の病気は治せないけれど、

私は霊魂を救う医者になりたい!!!

 

という、拒めない、とても強い聖霊の感動が来たのです。

聖霊の感動を受けてから、今までどうしても空けられなかった自分の考えが、コップの水を完全に逆にひっくり返したように、空きました。

 

箴言36

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

 

まさに、この聖句どおりに、すべてにおいて、主の導きを認めたときに、今まで八方塞だった私の人生の道が、まっすぐに見えるようになりました。

 

母親の病気はどうなったかというと、大学病院では、難病なので、治せないから、もう面倒を見ることはできないといわれ、ほかの病院に移動させられました。

移動先の病院でも、車椅子で生活できるようになれたらいいと言われ、車椅子で生活するためのリハビリをされるようになりました。

しかし、私の決心と共に、母の容態もどんどんよくなり始めたのです。

数年間回復が止まらず、車椅子どころか、歩けるようになり、職場復帰まで果たすようになりました。

母親も、絶対に歩けるようになりたかったので、毎日誰よりも朝早くからリハビリし、一番夜遅くまでリハビリ室にいて、つらいトレーニングをしていました。

母の頑張りもすごいと思いますが、やはり神様が癒してくださらなければ、絶対に歩けるようにはならない難病だったので、奇跡でした。

医者もびっくりして、とても不思議がっていました。体内の組織は麻痺しているのに、なぜか歩けるという奇跡です。

 

母親が倒れたのも、このままだったら死んでいたのではないかというぐらいに働いていたので、神様がストップをかけてくださったのだと、私は思っています。

 

この一件がなければ、私は牧師の道に行くことは絶対になかったと思います。

それだけ大きな転機になる導きでした。

 

霊魂を救う医者、鄭明析牧師に出会い、私もその道を歩めることに心から感謝と栄光を帰します。

 

投稿者プロフィール

Miry
Miry
摂理で牧師やってます。大学1年生の時に摂理に出会いました。まさか!自分が摂理の中で聖職者になるとは全く思ってもみませんでしたが、ある時、道が開かれ、牧師の道へ。
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